1 [小説/mizuki/入水]

手持ち無沙汰な席に座っていることになれていなかったので、
時子は外ばかり見ていた。
その落ち着かない気分の原因がそれだけではないことを時子は知らない。
何か話さなければならないような、
運転者の集中力を削ぐようなことはしてはいけないような。
隣に座る身体との距離がどちらともない気分にさせているのだと時子は思っていた。

それが体勢にも現われて不安定なのか、
その体勢が心持を作るのか。
前のめりになり、進む車に働く力に逆らっていた。
カーブや急な高低、運転し甲斐があるであろう道が続いている。
そのたびに胃が揺れ、反り返った腰がバウンドする。

赤いアーチの橋の所まで来ると、車は止まった。
ちょうどその脇には温泉がある。いつからか営業をしなくなった。
片側通行になっていて、ほんの少し渋滞を起こしている。
相変わらずつなぎ目の改修工事をしていることを知らせる看板が立っている。
始まってから随分経つというのに、未だどこがどう変わったのかはっきりと現われてこない。
そもそも工事そのものをしているところを時子は見たことがなかった。
工事の始まるよりも早く出かけ、工事が終ってから帰って来るせいだった。

先ほどからはもう五分以上は経った。
反対車線の車だけが通過を許されているままだった。
動かぬ車体の中で、流れぬ空気が淀んでくる。
不公平さに時子は耐え切れなくなった。

が、ぶつける所がない。
時子の中で言葉が浮かんでは消え、浮かんでは消え、出口を探す。
とうとう時子をぶち破る。時子に小さな穴が空く。

「あそこ、枯れちゃったって本当?」

漏れた言葉は勢い余って、車を揺らす。
それもつかの間、静かなエンジン音に溶けていく。
時子はハンドルを握る小熊のことを運転の邪魔を嫌う人間だと判断した。

しかし、時子の心配から生まれる予測はいつも的外れだった。
うっかりと出た言葉の中身の方が肝心で、
小熊はもっと奥の方を脅かされていた。
じわりじわりと時子から漏れ出た言葉が染み込んで行く。

「いや、どうしてそんな話が出るんだろう」

時子が窓から見たのは、
入り口に鎖が掛けられた《ふなゆめ》という名の温泉だった。
何をすることも出来ない空間の中で時間が凝縮されていくのだ、
その窓から唯一見える人工物が強烈に時子に刻み込まれるのも仕方がなかった。
自動で動かなくなった自動ドアはほんの少し開いていたままだった。
鎖をどこに巻いたらいいのか迷ったように、
鈍い鎖が中途半端に巻きつけてある。

《ふなゆめ》は川沿いにあり、
夏は涼しい風が吹き、
冬には星がよく見えた。
かわりに、肥えた蚊が大きな音を立てて舞う場所だった。

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コメント 2

kazuya

車中の停滞し、熟れた時間感覚が伝わってきます。

>時子の中で言葉が浮かんでは消え、浮かんでは消え、出口を探す。
とうとう時子をぶち破る。時子に小さな穴が空く。

といった比喩表現や、

>鎖をどこに巻いたらいいのか迷ったように、
鈍い鎖が中途半端に巻きつけてある。

>肥えた蚊が大きな音を立てて舞う場所

といったディテールが効いていて、僕の好きなタイプの小説です。
レイモンド・カーヴァーの小説にも何編かあったけれど、「現在形」で淡々と語っていくところが、作品世界に孤独感を充溢させているように思います。
僕は、静かな緊張感のただよう小説が好きです。

これはmizukiさんの創作かな? 連載小説ということで、完結するまで内容については触れないけれど、今後の展開が楽しみです。
by kazuya (2011-01-23 06:28) 

mizuki

読んでくれてありがとう。
創作です。自分でもやっぱり悪文だなと思いました。

もう少し練ろうかと思いましたが、
思い切って出すことにしました。
by mizuki (2011-01-24 00:46) 

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