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傲慢な子ども [エッセイ/mizuki/針の先より小さい目]

自分ではない誰かと何かを作り上げる方法を知らないだけで、こんなにもわたわたとしてしまうことに驚いています。これまでそうしてこなかったことにようやく気づいたのでした。

こうしたいというものが強くある時、それを誰かに頼むのは気が引ける。

そんなのはただの命令で、頼む誰かは創造的な余地がない。かといって、こうしたいんだけどどうだろうという姿勢では相手も困る。こいつはどうしたいんだ、なんにも方向性がないんだなとなってしまう。依頼するとき、相手に創造的な余地を残したいと思っていた。自分以外の個体にはまったく違う感性が宿っており、それは可能性だと思っていた。けれど、どうもそんなものはなくてもよい人もいそうだ。そう思いたくはない。そう思えばどこかで誰かが私に対してそう思っている気がする。何かを思うと跳ね返ってくる。

そんなおり、一人でやった方が早いと聞くことがたびたびあって淋しさを覚えました。

「こうやって、こうやりたい」と他人に意思を伝えなければならないのは大変なのはわかります。いろんな手間をすっとばして、一人で手を動かしていれば、そりゃいつかやりたいと思っていたことが出来るかもしれません。だけど、独りよがりがついて廻るのはどうしたものか。

何かを伝えるのに苦労しては、すっと言葉が出て来る人がうらやましい。それは他愛のないものであればあるほどよい。他人の芝生ばかりが青い。他人の芝生だから美しい。自分の芝生になったとたん、嫌でたまらなくなる。
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生きる力 [感想/無舌/アイドル]


「彼は誠心誠意が足りないね、というのはどうも『大学』を踏まえているらしい」


と先生は言った。伊藤博文の言動について、坂本竜馬が「彼は誠心誠意が足りない」と言ったという故事が、ある番組で取り上げられていたのだという。その番組では、今でも使われているこの「誠心誠意」という言葉の出所が、実は坂本竜馬のこの発言だったのだと締めくくっていたのだという。これに対して先生は、竜馬たちが生きていた当時の人々は、この言葉が四書五経の内の『大学』を踏まえているのだということをわかっていたはずだが、最近のテレビではここまで踏み込まないようだと、少々の反感を持って疑問を提起していた。先生の周りには三人の人が居た。事務連絡が済んでしまい、時間だけが残っていた。そこで先生が何とかひねり出した話が先の「誠心誠意」の話だった。

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かける鬼の子 [エッセイ/mizuki/針の先より小さい目]

もう終ってしまいましたが、写真展に参加しました。
デジタルカメラの普及で誰でも簡単に写真が撮れるようになった今、
あえて使い捨てカメラのシャッターを押してみようという展示会です。

事を起こすこと、一人で手を動かして何か形をなしたものが作品として成立する要素、表現欲のことなどぐにゃぐにゃと思いましたが、気軽に撮って、展示しました。

6回目の開催で、40人が参加。40人がそれぞれ一台の使い捨てカメラを使い切って、1枚だけ出品するというもの。展示や片付けに参加していたのも20人くらいだったので、どんな人が参加していたかよくわかりません。それでも成立してしまうゆるさにびっくりしました。表装師の方、ピアニストの方、学校の先生、アクセサリー作家の方、新聞記者の方…いろんな人が参加していたようです。

201108181815000.jpg
2枚のうち上の写真が私の撮ったもの。
偶然撮れた、名前も知らない子ども達。鬼子母神社の境内を走り回っていました。


会場の様子。ギャラリーが併設されているカフェです。
201108181814001.jpg

ところで使い捨てカメラは今後どうなるのでしょうか。
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ひやり [エッセイ/mizuki/針の先より小さい目]

毎朝、家族に「気をつけて行っておいで」と声をかけられ出掛けていく。
一人暮らしを経験したのそれらはかゆさがある。自分が出て行く家の中に人がいるという安心感も、気をつけてと人に言われるほどの平穏さも、どちらも当たり前になっているが体のどこかが危うさを覚えている。

今朝はもうすぐ職場に着くというところで自転車が飛び出してきた。
高校に向かう男子生徒の車輪と私の車のボンネットがあたった。
職場に向かう道はどこを通っても狭い。どの道をとっても同じようなものだが、どれも嫌だ。軽自動車、普通車、トラック、何にとっても狭いと感じされる道ならば、誰もが気をつけざるを得ないだろうと選んだ道でのことだった。きっと彼も急いでいたのだろう。

私が轢きそうになった彼は何事もなかったように去っていこうとするので、窓越しに「大丈夫ですか」と聞く。
降りる暇も与えてくれない。うなずいて行ってしまう。後ろに車はつかえる。

帰り。暗い道に小さな猫が飛び出す。あどけない四肢はこの夏に生まれたものだろう。走る私の車の下にもぐりこんでいくのが見えたので、車を降りて確かめる。電灯もない道でよくわからないが、轢いてはいなかった。夏子は弱いというけれど。

硬い壁で覆われた車同士がすれ違っても何も起こらないと思っていたが、閉ざされた空間の中に飛び込んできたものたちの慌てた表情が妙に残った。
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ここがどこかなんて忘れてしまおう [エッセイ/mizuki/針の先より小さい目]

カーシガーソケットに接続するFMトランスミッターを買った。

これはシガーソケットにさして、ipodなどの曲をカーステレオで聞くと言うもの。車に直接ipodなどを繋げられれば一番いいのだが、それが出来ないからFMを使うらしい。

しくみがよくわからないので電気屋の店員さんに聞いてみると、
「最近はこういう機械を使っている方が多いので、低い性能のものは混線しますよ」
とのこと。

私は車を買う時に、税金のこと、雪道のこと、見た目のことくらいしか考えていなかったので、カーステレオの音質のことなど気にしていなかった。乗ってみて、CDを入れて初めて、ああこんなものか、と音の程度を知った。

だいたいがそんなことなので、トランスミッターにしても音が聞けさえすればいいと思い、中の下くらいの機械を買い、ぐっと差し込む。煙草はすわないので、シガーソケットは初めての活躍だ。CDのクリアさとは違う、ラジオの電波が織り交ぜられた音がしだす。これまではipodから耳で直接聞いていた音が車内の空気を揺らしている。

少し走って交差点を曲がろうとすると、早速ジジ、と音が乱れる。
すると、「愛してるー」と歌う声が車に紛れ込んできた。一番初めに私の車にやってきた外の音だった。日常を破る音と言葉のような気さえした。何の曲かは知らないが、こういうサビの音楽を私は聞きなれていない。すれ違ったあの車を運転するあの人はよく知らないけど、あの一瞬同じ場所にいたのだ。そしてその人の愛する曲を盗み聞きしたのだ。きっと私が聞いたことなんて知らないだろう。

田舎に生きていると、ただ閉鎖された空間で身を固めているようで息苦しいから、とりあえず混線を面白がっている。車がすれ違っても何秒かのすれ違いで、鉄の向こう、ガラスの向こうと何かが通じることもない。家、職場、通いなれた場所、どこも苦しい。他人に出会うことがほとんどないようだ。なんにもないのが幸せの境地には至れそうにない。

なんにもないので、近所にある温泉に行っては、露天風呂で過ごす。谷底から吹き上げてくる風を背中に受ける。浸かっていると、誰か知らない人たちが入った水に私の体からもいろんなものが溶け出ていき、からっぽに近づけそうな気がする。たいてい温泉は空いている。

私の車で流れる音も誰かの車に流れ込んでいることだろう。
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夏休み [7月企画]

7月企画は無舌さん担当ですが、夏休みということになりました。


動画に意味はありません。

8月からまたスタートします。
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なんにも降ってこなかった [6月企画]

6月企画は開始時期が遅かったこと、
テーマの悪さなどあり、
参加者0人に終わりました。

最近、私の職場のイベントでも参加者0人に近いことがありました。

広報が足りなかったのか
(以前は同じ方法で多くの参加者があったので、職場の人々は他の方法が思いつかない。しかし、おそらくもうこのままではいけない)

難しいテーマだったのか
(有名人の話ならとっつきやすく、人は集まりやすいだろう。坂本龍馬とか。しかし、江戸時代の一地方の話)

原因はいろいろ。

求められてもいないことを真剣にやっている人はどこに向かっているのかとか、と淋しさを思いました。
とんでもない方向を向いているのか。
それともずっと未来や、ずっと遠くの誰かには届いているのか。

そういう時空を超えた想像力が私に足りないから淋しく思うのかもしれません。

広告会社の人間は何か作るとき、
「はじめから誰にも求められていない」ということを前提にしている、ということをどこかで読みました。


このブログの企画は気楽さがいいところであるので、こういう深刻さはありませんのであしからず。
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綾のイメージ [ブログについて]

このブログのイメージ画の草案です。

aya1.jpg
この画をトップページとし、月例企画をLogに入れていく予定です。

今はまだ整いませんが、ブログの説明は-綾-についてをご参照ください。

【ブログ開設の経緯】
【「綾」について】 
【ブログの方針】

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感情のレッスン [日記/kazuya/夏の椅子]

 拝啓
 湿気が肌にまといつく時節いかがおしのぎですか。大学の新年度が始まってすでに一月半が経ちますが、こちらは例年にない忙しさでした。御無沙汰心苦しく思っております。散歩などにも出歩きたいと思案しておりましたがパソコンに向かって作業しているうち、いつの間にか時間がすぎていきます。せめてブログの更新はこうして暇をみつけておこないたいと思っております。
 更新を再開するにあたって、以下のようにカテゴリ名を改めてみました。

 専門カテゴリ:書評/月間ベスト10
 その他カテゴリ:日記/夏の椅子

 書評では僕が月間に読んだ作品のベスト10を挙げてみたいと思っております。「本」ではなく「作品」です。一月で10冊も読んでいるか自信がないので。日記は「夏の椅子」と題しましたが、こちらは季節にあわせて題名を変える予定です。
 ところで今日のことですが友人に侯孝賢(台湾の映画監督)の『戯夢人生』を紹介しました。内容は言葉が足りずに伝えられなかったのですが、それはさておき改めて「戯夢人生」とは何ともよいタイトルだなあと思ったのです。侯孝賢の作品には表情豊かなタイトルが多いのです。試みに抜粋してみます。

 川の流れに草は青々(在那河畔青草青 1982年)
 童年往事-時の流れ(童年往事 1985年)
 恋恋風塵(戀戀風塵 1987年)
 悲情城市(悲情城市 1989年)
 戯夢人生(戯夢人生 1993年)
 好男好女(好男好女 1995年)
 憂鬱な楽園(南國再見、南國 1996年)
 珈琲時光(珈琲時光 2003年)
 百年恋歌(最好的時光 2005年)

 最後の二作に「時光」という漢字が使われていますが、この言葉のニュアンスには日本語の「時間」にない空間的な広がりが含意されているとか。他に王家衛(香港の映画監督)の作品ですが『花様年華』というタイトルもあります。〈花の様に歳月は華やぐ〉と訳したらよいでしょうか。僕自身もカテゴリや作品にそのようなタイトルを付けられれば、さぞ楽しいと思います。
 蛇足が長くなりました。どうぞお元気で、体調などお崩しになりませぬよう。
                                           敬具
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ブログのリニューアルについて [事務連絡]

みなさん、こんにちは。


さて今朝、ロゴ製作者の方からデザインを画像にしたものを頂きました。
これをここに添付したかったのですが、画像のアップロード制限を越えた容量であるため、できません。
よってメールに添付して送りたいと思います。

確認した上で何か致命的な問題がある場合は、指摘してください。また全員が確認し、コメント欄にその旨を書き込んでください。全員が確認し終えたら、ロゴ製作者さんとリンクさせる作業を始めたいと思います。

では、コメントを待っています。
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